2015年4月19日日曜日

三代目にインタビュー  「三丁目の夕日」は永遠です

こんにちは 引っ越し部 部員の 西島タルタルです。


みなさんお元気ですか?


ニシジマではちょっとずつ 引っ越しの部活がすすんでいます。


最近は 「部活掲示板」 も店内にできました。いらしたらチェックしてくださいね。


部員は必ずチェック!


で、私も掲示板を見ていたら、なんか三代目タツシが語ってますね~。この人 時々語りますよ


ね。 ま~ちょっと聞いてあげようかと思ってインタビューしてみました。


何か語ってます。お店で読んでください。


タルタルがするどく迫る!


タルタル:三代目はこの辺の産まれですか?


地元の鞆絵(ともえ)小学校、御成門中学を卒業

三代目:そうです。当時出来立ての虎ノ門病院で産まれました。 小さい頃は、愛宕山で走りまわ


って遊びましたね~。その頃はそこからうっすら東京湾も見えました。遊んでいる子供達の帰宅


の合図は「東京タワーに電気がついたら」でしたね。


木々の間から海が見えた!

遊んでいる所、どこからでも見えました。


タル:へ~ ほとんど「三丁目の夕日」の世界ですね。街の様子はどうでしたか?


三:20年位前まではニシジマのある通りに沢山お店がありました。え~と、たばこ屋さん、薬屋さ


ん、印刷屋さん、肉屋さん、乾物屋さん、げた屋さん、糸屋さん、お菓子屋さん、中華料理屋さ


ん、小鳥屋さん、電気屋さん、魚屋さん・・・それと


タル:ちょっ、ちょっと!わかりました、そんなに沢山あったんですね。今は全部なくなっちゃいまし


たね。そういえば先日みえたお客さまが「まえは、この通りで全部、生活の用が足せたんですよ」


とおっしゃっていましたね。

昭和47年のニシジマ。おとなりは薬屋さん


三:そう、生活の用が足りる事も大事ですし、私はお店の役目というのは「人がゆるやかに交流し


心安らぎ豊になる場であること」 「その地域らしさ(生活文化)を伝えていくこと」にもあると思って


いるんです。


タル:だから今回の移転の話があった時も、地域外への転出でなく、同じ地域内でお店を続


けていくことに、こだわったんですね。


三:そうなんです!その思いが通じ、また多くの方のお蔭もあり近隣で店を続けられることとなり


ました。それを自分に与えられた使命と思い、皆さまと共に楽しく元気にやっていきます!


タル:そうですか。私も応援しますね、がんばってください!



インタビューお疲れさま~


インタビューいかがでしたか? 楽しみながら無理せずやってってくれればいいな~と思いまし


た。よろしかったら皆さまも応援してあげてくださいね。よろしくお願いしま~す!


ニシジマ引っ越し部 部員 タルタル






2015年4月6日月曜日

救い主 三代目建築士登場!

こんにちは ニシジマ引越し部 部員のタルタルです。

今日のポーズはちょっと大人っぽい



前回このブログで移転先をご案内しましたけど、見に行って下さった方もあるかと思います。

ありがとうございます。

間口が3.6メートルくらい、で、奥行きが今の店舗よりあります。

そして両脇に同じ位の敷地の建物。

左がお茶の窪田園さん 右が虎ノ門どうぶつ病院さん



この場所が候補になった時は、まだ以前の旧い建物がありました。隣家との間は10センチあるか、

ないかで、ぴったりとくっついて建っていました。

まえはジンギスカンやさんだったそうです



敷地に対して目いっぱいの広さで建てて愛宕の店舗より少~し広いくらいです。

そのような建築は法律等の上では問題ないと聞きましたし、実際に、敷地目いっぱい、お隣とぴっ

たりという建物が建っていたので、それは当然に出来ることと思っていました。


しかし・・・それは簡単なことではなかったんですね~

まず、

1、足場が建物の周囲に作れない

⇒周囲に足場を作ればその分小さな建物になってしまう。


2、鉄骨建築だと柱が太くなり、使える床面積が削られてしまう。


3、従来の木造建築だと強度維持の為、両側壁から直角方向に90センチ幅の壁を設けなければ

ならない。


こんなイメージです



⇒左右合わせて間口の半分!それでは内装デザインが制限されてしまうし、店内が見通せない

閉鎖的な店舗になってしまう。



限られた面積を、出来るだけ柱等の構造物なく広く有効に使いたい・・・

どうしよ~

そんな時、心強い救い主がやってきてくれました。その方こそ・・・

そのDNAはおじい様の代から  そうそうこれだ!を生み出す

三代目1級建築士 中村耕三先生です!

ニシジマで打ち合わせ中にパチリ



中村先生との出会いは、今を遡ること19年前。愛宕の店舗を全面改装(現愛宕店舗のデザイン)

した時です。二人とも三代目なんて、奇遇ですね。

その時には4人の建築士の方と会い相談をさせて戴きました。

中村先生にお願いしようと決めたのは、提案された基本デザインの良さもさることながら、

「私達のことをよく分かってくれている」と感じたからでした。

依頼者が語る思い(それには建築デザインにおいての具体性がなく、とりとめもない話だったりもし

ます)。先生はそこにある本質的なものをとらえ、形にしてくれます。

それは、心の込められた形です

今回の店舗の打ち合わせでも、思いを伝えるこちらの側が「それだったんですね!」とその本質に

逆に気つ゛かされる場面がありました。

中村先生には、自宅のリフォームもして戴きました。

自宅:外光の入る窓際に大きな作り付けの机




そんなお付き合いの中村先生ですから、皆さまから頂いた店作りへのお声も、とてもよく分かって

下さっています。なので、どうぞ楽しみにしていてくださいね。

因みに先生の趣味は近現代の建築物を水彩で描くこと。これがうまいんですよ~。



おっとっと、

さっきの、三つの問題点。中村先生が頭をしぼって解決策を考えてくれました。

一般の店舗や住宅には珍しい、でも歴史ある建築構造手法ををとることになったんです。

それは・・・  ほおつ゛え (頬杖) 工法  ???て何?

西洋の教会建築などに用いられる工法だそうです。そういえば教会の内部(礼拝堂)ってあまり柱

がありませんよね。

歴史と現代が共にあるニシジマにも、ぴったりの工法かも。

そのことは、また詳しくお知らせしますね!

ニシジマ引っ越し部 タルタル


タツシの母校、明治学院のクリスマス礼拝にて